「いつくしみの光」 自分自身への思いやり、温かさは世界へ広がる

レイキヒーリング&オーラソーマ☆ 大阪市北区のヒーリングサロンVIDAMOR(ヴィダモール) 代表・尾崎友美のブログ  

2024年07月


31歳の時、滑膜肉腫の診断を受けてから、
私は1年3か月の入院生活と、
約1年半程の自宅療養を経験しました。




滑膜肉腫は筋肉に出来る悪性腫瘍の一種で、

私の場合は、右足大腿部に出来ましたが、
別の箇所に出来る場合もあるそうです。




症例が少なく、専門医も少なく、

予後もわかりにくい病気です。



病名が判明して、大学病院の専門医を紹介して

もらった私は、早速その専門医の先生の

診察を受けに行きました。



ちょうどその大学病院は、建物が新しくなった

ばかりで、とても快適な空間でした。



紹介して頂いた専門医のT先生は、

穏やかそうで、ゆっくり話す先生で

少し意外な感じがしたのを覚えてます。



「とにかく早く入院して、精密検査をして

手術になりますね」とT先生



その日時点では満床だった為、1週間程の
時間を自宅で療養して過ごしました。



入院を待っていたこの1週間程の時間は

とても長く感じました・・・




病気が私を完全に支配していました・・

恐怖心と治療に対する不安・・・



情けないやら悲しいやら・・・


押し寄せてくる恐怖、不安は

どうしたって消す事が出来ませんでした。


ネガティブな感情ばかりです。


恐怖

不安

後悔の念

自己嫌悪



するとそのうちに、体中に痺れを感じる

ようになって・・・



それは病気の関係とかではなく

あまりの不安と恐怖から感じて

いた痺れでした。



体中の皮膚がぴりぴりして、

本当にどうしようもなかったです。



「私、死ぬんだろうなあ」



「こうやって、入院するのを待ってる間に

 きっと癌は転移するんだろうな」



「自分の生き方が身勝手過ぎたから
 罰が当たったに違いない」



と心底から思ってました。




夜もあまり眠れなくて、告知を受けてから

入院までの期間は寝ていても眠りが浅くて

眠ってるのか、眠っていないのか自分でも

わからないような不思議な感覚がありました。

ずっしり重たい身体
恐れがいっぱいだけれど、妙にふわふわした感覚・・・




そんなある夜、私が13歳の時に亡くなった母が
夢に出てきました。




夢の中の母は、すごく不安そうな

顔で私を見ていました。




そして、私に言いました

「ごめんね・・・」

「ごめんね・・・」


母は何度も私に謝りました。




「お母さんは悪くないのに、どうして

謝るの? 謝らなくていいのに。

私こそごめんね。心配掛けて・・・」



と母に言いながら目が覚めた私は

辛くてベッドの中でひとり号泣しました。




母の夢をみたその翌日に、担当の先生から

電話が入り、入院日が決まりました。




そして入院する直前の明け方・・・



私は眠っているか目覚めているか

わからない様な状態でまどろんでいました。




夢を見ていたような感覚がありました。



夢の中で私はいつものように母の位牌の

ある仏壇の前に座って、手を合わせていました。




すると、天からいきなり強烈な光を放つ金色の

玉?のようなものがすごい速さで降りてきて、
母の位牌の中に吸い込まれたのです。


私はこの時点で完全に目覚めていました・・・
あまりの驚きで目が覚めたのでしょう・・・


位牌の中に吸い込まれたその強烈な光の玉が

今度は私の身体をすっぽりと包みこみました。


私を包みこんだ光は、驚くほどに心地よく、
温かく、無償の愛、永遠の愛の世界が私を包んでいました。






すると、次の瞬間に



天から亡くなった母が降りてきて

金色の光の奥に浮き出てくるように

現れました。



すごく大きくて

すごく美しくて

すごく神々しくて



言葉で表現しきれませんが、本当に凄かった。




母は何も言わずに私の事を優しく見守り、みつめてくれました。

まるで観音様のようでした。

母は、柔らかいシルバーグレーのようなローブを纏っていました。



私は

「お母さん、右足に腫瘍が出来てます」と言って

右足の太ももを押さえました。




母は無言のままで、少し頷いてから
エネルギーで「大丈夫だから安心していて欲しい」
と伝えてくれました。



そしてすっと全てが私の視界から消えた瞬間、
私は号泣しました。

それは、悲しみや寂しさからではありません。


他界した後もずっと私を見守り続けてくれている母
の存在を確信し、感謝の気持ちでいっぱいになった
からです。


その日から私の人生観は大きく変わりました。


肉体は死んでも、魂は死なない

これはやっぱり事実だった。


この体験が私にとてつもないパワーを与えてくれました。


そして・・・天界は愛と光の世界であるということ
をはっきり体感したことは、ずっとずっと私を根底から
支え続けてくれています。



そんなわけで・・・
愛と光のサポートを受けて、私の入院生活が
始まりました・・・31歳の冬の事でした。


続きは次回の私のストーリーに書きますね。



最後まで読んでくださった皆様に心から感謝致します。


YUMI






































 

マドリッドに住む前、

ロンドンに留学し始めた頃だったと

思う。


椅子に座ったとき

右足の太ももの後ろ側に

違和感がありました。



しばらく座ってると、何となく

右太ももだけ違和感



痛みとかではなくて、

気になる、何かが邪魔してる感じ

でした。




でも、座ってる時だけで、日常生活には

全く支障もないし、毎日充実していたのも
あってか・・・

そのままどんどん歳月は流れました。




マドリッドに住むようになってからも、

やっぱり気になって、違和感は消えなくて

自分で太ももに触れても何にもないし・・・



なんか気になるけど、何にもないしなあ・・・



という感じでした。




月日が流れていくと、

余計に気になるようになってきて、

心なしか、右足に触れると、気になってる

部分だけ筋肉が硬いような気がしてきて



気のせいだと思う気持ちと

やっぱり何かおかしい

と思う気持ちがいつも戦っていた



じつは、日本に一時帰国したときに、

整形外科に何件か診察とレントゲンを

受けに行って相談してましたが、

異常なしと言われてました。



でも、やっぱり何かがおかしいと

いう気持ちが勝つようになり



マドリッドで整形外科を受診

ドクターにMRI検査を勧められて

受けました。



ドクターに「できものが出来てるから

3ヶ月様子を見ましょう、もし大きくなって

きたら、手術した方がいいかもしれません」



と言われて・・・



でも私の中では、もう何年もなんとなく

おかしいと思い続けてきていたので

その3ヶ月が待てないと感じたので



「3ヶ月様子を見るよりも、すぐに日本に帰国して

 病院に行ったほうが良いでしょうか?」

と先生に尋ねました。




先生は「出来るのなら帰国した方があなたも

安心かもしれないですね」と言われました。



ボーイフレンドも事情をもちろん知っていたし、

日本の方が保険の事や家族が居る事を考えたら

安心という事で、話し合って私は帰国をする事

になりました。



彼と離れるのは辛いけれど、今はそんな時では

ないと感じたので、準備をして帰国しました。




帰国後すぐに、父が当時住んでいた家の近くにある

総合病院を受診

マドリッドで撮影したMRIも持参しました。




地元の人達が来るような比較的規模の小さな

総合病院の整形外科に行ったら、その日
たまたま大学病院から整形の軟部腫瘍の
専門医が診察に来ていました。



この先生との出会いがなかったら、

もっと病院を廻らないといけなかったと

思います。




この専門医の先生のご指示で早速

私は細胞検査の為の手術を受ける

ように勧められ、1週間の予定で入院

しました。








この頃の私は、「恐怖」という洋服を毎日着て

生きてました。



これから自分がどうなるのか?

右足はどうなるのか?

悪性だったらもう死んでしまうのか?



本当に恐怖の塊でした。




細胞を取ってもらって検査に出して、

私は退院しました。



数日後・・・・



外来受診で先生から細胞検査の

結果を聞きました。




結果は悪性で、

「滑膜肉腫」という種類の肉腫だということ



そして、症例が非常に少ないため、

情報が少なく、専門医がいる病院も

限られているということ



早急に入院して治療しなければ

命にかかわるということ



を説明されました。




この時の気持ちを色で表せばまさに

「真っ白」でした。




あまりに真っ白でぼんやり

してしまって、人事のようにさえ

思えました。





でも心の奥深いどこかで・・・

何か懐かしいような、

デジャブのような、

そんな感覚がありました。




心のどこかで、この瞬間が来る事を
知っていた自分が居ました・・・





この時私に告知をして下さった先生の
大学病院は遠かった為、別の専門医の

先生がいる大学病院に紹介状を書いて頂き

ました。





そして、なんと・・・・

がん告知の日まで、31年間、私はずっと
自分の血液型がB型だと思って生きてきた
のですが、



病院で渡された血液検査カードには

「O型」と書いてありました。




そうです、O型だったんです

別の意味でまた頭が真っ白に・・・ww





この日から私の「滑膜肉腫」と共に生きる

毎日が始まりました。



数年間の間、いったい何者なのかわからなかった

身体の一部の正体がようやくわかったのです。


そこには妙な安堵感と、自分では抱えきれない程の
不安、死に対する恐怖・・・沢山の感情がごちゃ混ぜ
になっていました。



今になってこの時の気持ちを思い出すと・・・
「この病気になる事は、生まれる前から
決めてきた事だった」と妙に納得する感じがあります。


31歳の秋の事でした・・・



ではまた次の私のストーリーに続きを書きます。


最後まで読んでくださった皆さんに感謝致します。




YUMI










長くなるので続きはまた私のストーリー9で!!




最後までお読み頂きありがとうございました。




↑このページのトップヘ