マドリッドに住む前、

ロンドンに留学し始めた頃だったと

思う。


椅子に座ったとき

右足の太ももの後ろ側に

違和感がありました。



しばらく座ってると、何となく

右太ももだけ違和感



痛みとかではなくて、

気になる、何かが邪魔してる感じ

でした。




でも、座ってる時だけで、日常生活には

全く支障もないし、毎日充実していたのも
あってか・・・

そのままどんどん歳月は流れました。




マドリッドに住むようになってからも、

やっぱり気になって、違和感は消えなくて

自分で太ももに触れても何にもないし・・・



なんか気になるけど、何にもないしなあ・・・



という感じでした。




月日が流れていくと、

余計に気になるようになってきて、

心なしか、右足に触れると、気になってる

部分だけ筋肉が硬いような気がしてきて



気のせいだと思う気持ちと

やっぱり何かおかしい

と思う気持ちがいつも戦っていた



じつは、日本に一時帰国したときに、

整形外科に何件か診察とレントゲンを

受けに行って相談してましたが、

異常なしと言われてました。



でも、やっぱり何かがおかしいと

いう気持ちが勝つようになり



マドリッドで整形外科を受診

ドクターにMRI検査を勧められて

受けました。



ドクターに「できものが出来てるから

3ヶ月様子を見ましょう、もし大きくなって

きたら、手術した方がいいかもしれません」



と言われて・・・



でも私の中では、もう何年もなんとなく

おかしいと思い続けてきていたので

その3ヶ月が待てないと感じたので



「3ヶ月様子を見るよりも、すぐに日本に帰国して

 病院に行ったほうが良いでしょうか?」

と先生に尋ねました。




先生は「出来るのなら帰国した方があなたも

安心かもしれないですね」と言われました。



ボーイフレンドも事情をもちろん知っていたし、

日本の方が保険の事や家族が居る事を考えたら

安心という事で、話し合って私は帰国をする事

になりました。



彼と離れるのは辛いけれど、今はそんな時では

ないと感じたので、準備をして帰国しました。




帰国後すぐに、父が当時住んでいた家の近くにある

総合病院を受診

マドリッドで撮影したMRIも持参しました。




地元の人達が来るような比較的規模の小さな

総合病院の整形外科に行ったら、その日
たまたま大学病院から整形の軟部腫瘍の
専門医が診察に来ていました。



この先生との出会いがなかったら、

もっと病院を廻らないといけなかったと

思います。




この専門医の先生のご指示で早速

私は細胞検査の為の手術を受ける

ように勧められ、1週間の予定で入院

しました。








この頃の私は、「恐怖」という洋服を毎日着て

生きてました。



これから自分がどうなるのか?

右足はどうなるのか?

悪性だったらもう死んでしまうのか?



本当に恐怖の塊でした。




細胞を取ってもらって検査に出して、

私は退院しました。



数日後・・・・



外来受診で先生から細胞検査の

結果を聞きました。




結果は悪性で、

「滑膜肉腫」という種類の肉腫だということ



そして、症例が非常に少ないため、

情報が少なく、専門医がいる病院も

限られているということ



早急に入院して治療しなければ

命にかかわるということ



を説明されました。




この時の気持ちを色で表せばまさに

「真っ白」でした。




あまりに真っ白でぼんやり

してしまって、人事のようにさえ

思えました。





でも心の奥深いどこかで・・・

何か懐かしいような、

デジャブのような、

そんな感覚がありました。




心のどこかで、この瞬間が来る事を
知っていた自分が居ました・・・





この時私に告知をして下さった先生の
大学病院は遠かった為、別の専門医の

先生がいる大学病院に紹介状を書いて頂き

ました。





そして、なんと・・・・

がん告知の日まで、31年間、私はずっと
自分の血液型がB型だと思って生きてきた
のですが、



病院で渡された血液検査カードには

「O型」と書いてありました。




そうです、O型だったんです

別の意味でまた頭が真っ白に・・・ww





この日から私の「滑膜肉腫」と共に生きる

毎日が始まりました。



数年間の間、いったい何者なのかわからなかった

身体の一部の正体がようやくわかったのです。


そこには妙な安堵感と、自分では抱えきれない程の
不安、死に対する恐怖・・・沢山の感情がごちゃ混ぜ
になっていました。



今になってこの時の気持ちを思い出すと・・・
「この病気になる事は、生まれる前から
決めてきた事だった」と妙に納得する感じがあります。


31歳の秋の事でした・・・



ではまた次の私のストーリーに続きを書きます。


最後まで読んでくださった皆さんに感謝致します。




YUMI










長くなるので続きはまた私のストーリー9で!!




最後までお読み頂きありがとうございました。