入院して、本格的な検査が始まりました。
そして、1994年12月2日に私の手術は行われました。
手術までの間に、実は右足の鼠径部にも小さな腫瘤が
見つかり、主治医の先生に相談して、右足の太ももの
腫瘍切除と一緒に、鼠径部の腫瘤も切除する事に
なりました。
オペ前の説明では、太ももの腫瘍は坐骨神経から
約2センチ離れている為、何とか坐骨神経は残せそうだと
いう事
そして、成人男性の握りこぶし程度の筋肉を切除する
事になるため、走ることは難しくなるかもしれないこと
正座は出来なくなるかもしれないと言われました。
万が一、坐骨神経を切除しなければ、
腫瘍を取り切れない時は、
右足首は動かなくなる事も・・・
そして、もしも鼠径部の腫瘤が悪性の場合は、
リンパ節転移になるので、大きく予後が
変わってくるとも言われました。
恐怖と不安でいっぱいになりながらも、
どうする事もできない訳で・・・
幸いにも、坐骨神経は残せました。
また、鼠径部の腫瘤は良性で、今のところ
転移はしていないとわかりました。
手術が終わり、数日後には先生が
「手術跡をちゃんと自分で見て、
傷がきれいに回復するように
自分でもケアをしないといけないよ」と
傷跡のケア方法を教えてくれました。
でも、私は長い間、手術跡を見ることが
出来ませんでした。
見るのが怖かったし、傷ついていびつな形になった
太ももを受け入れるには心の準備が必要でした。
そして、まだ傷口を自分で見る事も出来て
いなかった、オペから1週間後に、
一回目の抗がん剤治療は始まりました。
主治医の先生からは月に1度のペースで
6回やります。と説明を受けてました。
化学療法をしなければ、確実に再発すると
言われていたし、やる以外に選択肢はあり
ませんでした。
私の受けた抗がん剤治療は、それはそれは
厳しいものでした。
(抗がん剤治療の内容はそれぞれ違うと思います)
最初の点滴で抗がん剤を入れて、あとの1週間は
出来るだけ早く体外に排出する為に、ずっと点滴が
続きます。
やむことのない激しい吐き気
24時間ずっと襲ってくる嘔吐
胃液に血が混じる程、吐き続けました。
一切食べ物を受け付けない
苦しみのたうち回りながら
「ああ、生き地獄ってこういう感じだな」と
冷静に感じる自分も居ました・・・
1週間寝たきりで、一切食べず、ほとんど飲まず、
吐き倒し苦しみます。
誰にも見られたくない姿でした。
私の体はどうなるんだろう
どうせ死ぬならこんな治療は
この1回で終わらせたい
1回目の抗がん剤が終わったら
家に帰ろう
そんな事をずっと考えてました。
1週間後に少し体調が戻ったら、
今度は十二指腸潰瘍や、ヘルペス、
口内炎など抵抗力が低下する事で
起こる副作用との戦いです。
こんな厳しい治療はもう止める
こんな治療をするくらいなら
死んだ方がましだ
こんな爆弾みたいな治療をされて
身体がかわいそうだ。
とずっと考え続けていました。
1回目の抗がん剤から落ち着いた頃に、
ちょうど年末を迎えていましたので、
大晦日から1月3日までは自宅で過ごす事に
なり一時帰宅しました。
大晦日の夜、抗がん剤治療から初めて
シャンプーをしました。
髪が抜ける事は聞いていたけど、
どれ位、どんな風に抜けるかは何も知りませんでした。
徐々に抜けるのか?
全くわからないし、不安でした。
お風呂から上がって鏡の前でドライヤーを
当てだした私を襲ったのは、激しい頭皮の刺激感でした。
ものすごくヒリヒリして、痛くて、
どうしたらいいかわからなくて・・・
私は鏡を見ながら自分で自分の髪をすべて
むしり抜きました。
少し力を入れて引っ張れば、簡単に
抜け落ちたすべての髪の毛
まさに、オカルトの世界でした。
髪を一人でむしり抜きながら、
私は号泣しました。
先生たちは
「髪は抜けても、また生えてくるから
心配いりません」と言っていました。
そんな先生に対して「怒り」さえ覚えました。
(先生ごめんなさい)
先生の説明は、理屈では理解できても、
あまりにも辛い状況でした。
そして、数日後には、体毛はすべて抜けおちて、
そこから私のニット帽生活が始まりました。
お正月中も
「こんな薬はもういやだ、もうやりたくない」そう
思い続けました。
でも、少し日にちが経過すると、食欲も出てきて、
読書したり、テレビ見たりする元気が出てきました。
ひたすら悩み続けて、考えて考えて考え抜いた
結果私が気付いたのは・・・
私の事を一番励ましてくれているのは、
「私自身の細胞たち」だという事でした。
私は自分の身体が愛おしくなりました。
あんなに激しい爆弾のような薬を大量に入れられて、
強烈なダメージを受けた私の細胞たち
それでも細胞たちは私の中で脈々と
「生きたい、元気になりたい」と
叫んでいました。
私は心の底から、自分の身体全部に
深く感謝すると同時に、
自分の身体の事は裏切れないと
思いました。
「辛くても治療を続けて生きる!」
そう思えるようになりました。
心の声をしっかり聴いて、
身体の声をしっかり聴いて生きる
ていこう
そう深く心に刻み、細胞と共に新しいスタート
を切った私でした・・・
続きは次回に書いていきますね。
最後に・・・
もしも今、抗がん剤治療を検討されている方、抗がん剤治療を
されている方で読んでくださった方が居られたら、私の体験は
もう30年も前の事になります。
あの当時から比べれば医療も進歩しているでしょうから、
私の体験はあくまでも私のものとして受け取って
頂けましたら幸いです。
最後までお読みいただいた皆様に心から感謝
致します。
YUMI