私が受けた抗がん剤治療は月に1回のペースで、全部で12回受けました。
そして並行して、放射線治療も28回受けました。
ご存知の方も多いと思いますが、抗がん剤治療中は、血液検査を頻繁にして、白血球の数値や、赤血球の数値をよく観察して、白血球があまりにも下がりすぎたら、無菌室に入る場合もあります。
私も何度か無菌室に行かなければならない位に白血球がさがった事もあり、回を重ねる度に身体のダメージを痛感していました。
毎月めぐってくる抗がん剤治療の1週間があまりにも辛すぎたので、
治療と治療の間の比較的体調が良い時期(だいたい2週間位)は私にとって「天国」でした。
ごはんをおいしく食べられること
16階の病室から地下の売店まで歩いて買物に行けること
テレビが楽しめること
本が好きなだけ読めること
日常の暮らしが最高に幸せだった。
この頃に出会った本の中の1冊がこちら

これ、30年前のものですが・・・
カール・サイモントンさんというアメリカのドクターのサイモントン療法というトレーニングと、患者さんの体験談なんかが載ってます。
私は現地に出向いて直接トレーニングに参加した訳では
ありませんが、病室で読んでいくうちに、ぐいぐい
引き込まれていきました。
この本の中に出てくる患者さんの人生と
癌になったストーリーから私は沢山の気づきを
頂きました。
自分の病気と、自分が長年抱えてきた
父親に対する怒りが、私の深いところで
繋がり、影響しあっている・・・
そんな感覚をはっきりと感じ取りました。
身体だけを治療しても完治はないだろう
これは私に天から与えられた、自分自身を
癒す為の機会なのだ
そう確信を持ちました。
この本との出会いをきっかけに私は長年抱えてきた父親に対する怒りと向き合いはじめました。
本を参考にしながら私が始めたワークは
父親のことを自分とおなじように「ひとりの人間として」理解をして、思いやりをもって受け止めていく。
という積み重ねです。
父の幼少期のことや、青年期のこと、
大人になってからのこと、
父が積み重ねてきた人生のストーリーを「私の父」の物語として
ではなく
ひとりの人間の人生の物語として
じっくりと考察し続けました。
すると・・・だんだんと気がつきはじめました。
「父も私と同じひとりの人間で、私に生い立ちがあり、経験してきた事があるように、父にも生い立ちがあって、経験してきた出来事があって今がある」
文章で書くと当たり前で、すごくシンプル
な事ですが、親子関係は近すぎるだけに、
意識的にならなければこういう見方
は出来ないものだと思います。
そうやってどんどん感じていく事が
習慣になっていったとき、いつのまにか私は父の事を「ひとりの
人間」として、父のまるごとを受け止めて
いくようになりました。
そして、そこからさらに気づきがありました。
私の感情の主は私自身である。
という事実。
父の行った行動(浮気)の結果は父の責任であるけれど、その責任は
父のものであって、私のものではない
一方で、
私が持ち続けていた「父を許せない!」という感情は私が自ら選び、持ち続けたものであり、父のものではない
という事・・・
父の行動と、私の感情は当然繋がりがある訳
ですけれども、そこが分かりにくい部分であり、
その混乱が人生を複雑にしていると感じます。
このシンプルな事を、一旦確認し、受け容れて
いくと、不思議ですが、目の前がスッキリして
自分の人生に集中できるようになり、それは
言葉を変えて言うと「人の責任にしない、
自分の人生は基本自己責任である」という
事だと思います。
人間は誰ひとりとして完璧ではありません。失敗も繰り返し、そこから学ぶのですよね。
きっと父は自分がした行動に対して父なりのやり方で精一杯向き合い続けていた
と思います。
そして私は「自分の感情の面倒をしっかり見ようそれがひとりの大人としての責任だ」
そう素直に思い始めました。
すごく心が楽になったのも覚えています。
サイモントン療法が良いかどうか?は正直私にはわかりません。
でも、この本がくれた大きなチャンスに私は感謝をしています。
最後までお読み頂きありがとうございます。
また次回続きを書きます!
YUMI
そして並行して、放射線治療も28回受けました。
ご存知の方も多いと思いますが、抗がん剤治療中は、血液検査を頻繁にして、白血球の数値や、赤血球の数値をよく観察して、白血球があまりにも下がりすぎたら、無菌室に入る場合もあります。
私も何度か無菌室に行かなければならない位に白血球がさがった事もあり、回を重ねる度に身体のダメージを痛感していました。
毎月めぐってくる抗がん剤治療の1週間があまりにも辛すぎたので、
治療と治療の間の比較的体調が良い時期(だいたい2週間位)は私にとって「天国」でした。
ごはんをおいしく食べられること
16階の病室から地下の売店まで歩いて買物に行けること
テレビが楽しめること
本が好きなだけ読めること
日常の暮らしが最高に幸せだった。
この頃に出会った本の中の1冊がこちら

これ、30年前のものですが・・・
カール・サイモントンさんというアメリカのドクターのサイモントン療法というトレーニングと、患者さんの体験談なんかが載ってます。
私は現地に出向いて直接トレーニングに参加した訳では
ありませんが、病室で読んでいくうちに、ぐいぐい
引き込まれていきました。
この本の中に出てくる患者さんの人生と
癌になったストーリーから私は沢山の気づきを
頂きました。
自分の病気と、自分が長年抱えてきた
父親に対する怒りが、私の深いところで
繋がり、影響しあっている・・・
そんな感覚をはっきりと感じ取りました。
身体だけを治療しても完治はないだろう
これは私に天から与えられた、自分自身を
癒す為の機会なのだ
そう確信を持ちました。
この本との出会いをきっかけに私は長年抱えてきた父親に対する怒りと向き合いはじめました。
本を参考にしながら私が始めたワークは
父親のことを自分とおなじように「ひとりの人間として」理解をして、思いやりをもって受け止めていく。
という積み重ねです。
父の幼少期のことや、青年期のこと、
大人になってからのこと、
父が積み重ねてきた人生のストーリーを「私の父」の物語として
ではなく
ひとりの人間の人生の物語として
じっくりと考察し続けました。
すると・・・だんだんと気がつきはじめました。
「父も私と同じひとりの人間で、私に生い立ちがあり、経験してきた事があるように、父にも生い立ちがあって、経験してきた出来事があって今がある」
文章で書くと当たり前で、すごくシンプル
な事ですが、親子関係は近すぎるだけに、
意識的にならなければこういう見方
は出来ないものだと思います。
そうやってどんどん感じていく事が
習慣になっていったとき、いつのまにか私は父の事を「ひとりの
人間」として、父のまるごとを受け止めて
いくようになりました。
そして、そこからさらに気づきがありました。
私の感情の主は私自身である。
という事実。
父の行った行動(浮気)の結果は父の責任であるけれど、その責任は
父のものであって、私のものではない
一方で、
私が持ち続けていた「父を許せない!」という感情は私が自ら選び、持ち続けたものであり、父のものではない
という事・・・
父の行動と、私の感情は当然繋がりがある訳
ですけれども、そこが分かりにくい部分であり、
その混乱が人生を複雑にしていると感じます。
このシンプルな事を、一旦確認し、受け容れて
いくと、不思議ですが、目の前がスッキリして
自分の人生に集中できるようになり、それは
言葉を変えて言うと「人の責任にしない、
自分の人生は基本自己責任である」という
事だと思います。
人間は誰ひとりとして完璧ではありません。失敗も繰り返し、そこから学ぶのですよね。
きっと父は自分がした行動に対して父なりのやり方で精一杯向き合い続けていた
と思います。
そして私は「自分の感情の面倒をしっかり見ようそれがひとりの大人としての責任だ」
そう素直に思い始めました。
すごく心が楽になったのも覚えています。
サイモントン療法が良いかどうか?は正直私にはわかりません。
でも、この本がくれた大きなチャンスに私は感謝をしています。
最後までお読み頂きありがとうございます。
また次回続きを書きます!
YUMI