当初、主治医から受けていた説明では、
抗がん剤治療は月に1回で、
その治療を6回続けるとの事でした。
抗がん剤の副作用は多岐に渡って
出ていました。
血尿が出たり、
身体も顔も浮腫んで、
髪の毛は当然ですが、体毛が全て
抜け落ちました。
他にも、ヘルぺスや口内炎等々
薬の影響は体中に出ていました。
中でも、全身の倦怠感はすごくて、
どうしても午前中に起きる事が出来ず
毎日、正午前まで寝ていました。
消灯時間を過ぎると、突然孤独が
襲ってくる事が時々ありました。
副作用で醜くなってしまった自分が
哀れて悲しかった。
まだ31歳でしたから・・・
無理もなかったのかもしれません。
ある夜、消灯から少しして
私はそっと16階の病室を抜け出して、
1階の広い外来に降りて行きました。
かなり広い1階の外来は電気が消されて
暗くて、広くて、きっとベッドの上に
いるより落ち着きそう・・・
と思い、1階に降りていきました。
1階は私の想像とは違って
パジャマのままで1階を大きく何周も
何周も早歩きしている人たちがいました。
糖尿病の人や、足を鍛えたい人
みんな歩くことに集中していた
歩いている人たちを見て
「私も負けてなるものか、必ず
病を克服する!」そう素直に思いました。
暗闇の中、パジャマで早歩きしている
人たちは、入院中とは思えない位に
パワーがありました。
エネルギーフィールドの原点に火が
着いた! そんな感じのエネルギーでした。
「私も自分の動く足に感謝して歩こう」と決めて
それから毎晩30分、1階に歩きに行きました。
でも、抗がん剤の回を増す毎に、
副作用で朝は本当に起きるのが
辛かったのをよく覚えています。
お昼ご飯を食べてからは、ベッドの上で
スペイン語の試験勉強をしました。
元気になったら、日本で受けられる
スペイン語の検定を受けようと目標を掲げて、
毎日数時間勉強しました。
闘病中、スペイン語にとても助けられました。
好きな語学であるスペイン語をもう一度、
愛情を込めて学ぶことの楽しさを味わえたのです。
そして夜のウォーキングの後は寝たままで行う
瞑想をしたり、身体をリラックスさせるストレッチ
をしたりしていました。
心が折れそうになるので、「今、入院中の私にも
出来る事」にフォーカスをして、とにかくやれる
事を実践しました。
そんな状況のある時、
「朝も頑張れば8時に起きられるかもしれない、
やってみよう!」と思い立ちました。
翌日、何とか8時に起きることが出来て、
身体はしんどいけど、しんどさを遥かに
超える満足感で幸せを感じました。
きちんと朝ごはんを時間通りに食べた私は
早起き成功が嬉しすぎて、地下にある売店に
買い物に行こうと思いつきました。
16階からいつも通りエレベーターに乗り
地下に向かいました。
まだ朝早くてエレベーターは空いてました。
途中の階でエレベーターが止まって、
入院中と思われる年配の女性が乗ってきました。
年配の女性が来ていたTシャツの文字が私の
目の中に飛び込んできました。
A QUIEN MADRUGA,
DIOS LE AYUDA
スペイン語です。
直訳すると、
「早起きするものを、神は救う」
日本語的に訳すと
「早起きは三文の徳」
となります。
私は一瞬、何が起こったのか?
何を見たのか?わからなくなる位
驚きました。
あの時、病院の中で、あのおばさん
のTシャツの文字の意味を理解したのは
おそらく私だけだったでしょう・・・
神様?
天国のお母さん?
からのメッセージ?
私が、頑張って早起きしたのを知っていたの?
私がスペイン語が理解出来て、スペイン語
の勉強を一生懸命しているのをどこかから
見ていたの?
「私を守護して下さる存在が、いつも
近くにいて下さるのだ・・・」
と気づくと同時に、天から降り注ぐ守護と
愛のエネルギーが私の身体の隅々から、
私の魂の深みまで届き、感動で震えた朝でした。
私は闘病中のこのシンクロニシティや、
様々な出来事を通して、目に見えない
大いなる存在、グレートサムシング、
神様、守護天使様・・・呼び方が何であれ
そのような存在が間違いなくおられて、
守護し、導いて下さっている・・・
そう確信しました。
苦しい中でも穏やかに過ごせた闘病生活
を思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。
ではまた次の私のストーリーで!
最後までお読み頂きありがとうございます。