私は神秘的な世界にとても興味があります。
自分自身の神秘体験を元に、それらの世界を探求していく
事は、私にとって生きる喜びであり、深い愛を感じる時間
です。
本日は、私の神秘体験のひとつについて書いてみます。
(なぜかふと、その記憶が脳裏に蘇ってきたので・・・)
私は、31歳の時に、大病をして1年3か月入院治療を
していました。
命に関わる病気でしたので、入院中はとても辛い時間では
ありましたが、同時に、人生の大きな転換点を実感しながら、
未来への大切な種を蒔く時間だったように思います。
入院初期の頃には、なぜ自分が31歳で症例の少ない
癌になり、厳しく辛い治療を強いられることになったの
だろうか?という疑問と毎日向き合っていました。
いくら家族がサポートしてくれても、心友が何度も
お見舞いにきて励ましてくれても、私の心の中は
「私の気持ちはだれにもわからない」という諦めの
ような思いでいっぱいでした。
「どうせ、誰にも私の気持ちなんかわからない、
わかるはずもない!」という誰に向けているか
わからないような怒りと、諦めの入り混じった複雑
な心境でした。
「どうせ誰にも私の気持ちなんかわからない!」
そう心の中で強く思った瞬間に、私ははっきりと
ある声を聴きました。
その声は、男性の声でした。
威厳ある、確信に満ちた堂々とした声
強い声なんだけど、慈悲深い声でした。
その声ははっきりと私に言いました。
「お前の気持ちは、お前がわかっていれば、
それだけで十分だ」
一人で個室の部屋のベッドに座って静かに過ごして
いた時だったので、一瞬耳を疑いました。
「空耳かな?」と・・・
けれども、その声は、本当にはっきりと聴こえ、30年
以上経った今でも、思い出せばその瞬間の感覚が鮮明に
蘇ってくる位、活き活きとしていました。
私は、その声に「お前の気持ちは、お前がわかっていれば、
それだけで十分だ」と言われた瞬間に、なぜかわかりませんが、
その真の意味を納得しました。
なんの疑いも、反発もなく、「はい、わかりました」と
瞬時に返事をした位、反射的に納得した感じがありました。
それから毎日、その事について考えました。
そこで湧いてきた疑問がありました。
「私は、私自身の気持ちを本当に理解して、
大切に向き合ってあげているだろうか?」
答えはノーでした。
そこから、私は自分の本心と向き合っていこうと
決めました。
するとすごく不思議で奇跡的とも言える位に
考え方も変化しました。
「自分以外の人に、自分の気持ちがわからないのは
当たり前だ」と心から思えるようになったのです。
人間にとって身近な人にわかってもらいたいという欲求は、
ある意味自然だと思いますし、わかって欲しいという気持ち
を否定はしませんが、
誰かにわかってもらいたいと思うよりも、
自分自身の気持ちを深くわかってあげようと意識している
人は、きっと他者の気持ちにも自然に気づける人なのだと
思っています。
私が聴いたあの声に含まれた深い意味
その深い意味をずっと探求しながら今も毎日を生きる
事が出来て、私はその探求そのものが嬉しく、感謝
の気持ちでいっぱいになります。
人生はどこまでも学びの連続ですね・・・
苦しく辛い体験にこそ貴重な学びの場があります。
疲れたら休みながら、学びを継続していきたいものですね。
心穏やかにお過ごしください。
YUMI

