以前にも書いたかと思いますが、私は日本の
スピリチュアル業界的なものは、あまり好きには
なれません。
なぜか?
それは、私にとっては「スピリット(魂)とともに生きる」
という事は、あまりにも当たり前に自然であり、とりたてて
それを特別な事とも思えないからです。
ましてや、スピリチュアルをすごいビジネスにして
大金を人から頂くなどという事は、私にはどうも出来ません。
数十万単位のお金を取るようなビジネスにするのは、
「愛」ではないように思えてなりません。
もちろん良い悪いはわかりませんし、それは一人ひとりの
自由意志です。
少なくとも、私はそのような事は出来ません。
私は、自分の実体験からしか自信を持って伝えられること
はありません。
人の肉体は死んでも、魂は死ぬことがないという事や、
人間には、肉眼では見えないけれど、守護してくれる
存在がいるという事などは、自分の子供の時からの
実体験を通して、「知っていた」のです。
それは、誰かにとっては謎であったとしても、
私にとってはいたってシンプルな真実であります。
たとえば、人間を守ってくれる存在、その存在が
守護霊なのか、ハイヤーセルフなのか、守護天使なのか、
それはわかりませんが、とにかく見守り導いてくれる
存在がいるという事は、私には自然な事に思えます。
私には、私のそばでずっと見守ってくれている指導霊
のような存在がいます。
彼は、ユダヤ教の宣教師としての過去生を持っている
ようです。
彼は、私のそばでいつもじっと私を見守っています。
そして、私が自分だけで光を見いだせないような時に
私にアドバイスをくれます。
彼のアドバイスは、いつもわかりやすく、シンプルで
愛に溢れています。
そして、私が、いかにも物質的な事の質問をしたときには、
冗談めいた現象を私に送ってきて、笑わせてくれたりしながら
本当に大切なことは何か?をいつも伝えてきてくれます。
今朝は、彼にサポートが欲しいと伝えました。
すると、すぐに私に返事をくれました。
本当に明晰で、愛溢れる返信でした。
では、なぜ、私がこのように自分の指導霊なる存在と
繋がりを持てているか?といえば、答えはシンプルです
「私が1ミリの疑いも持たず、彼の存在を信頼しているから」
だって、目には見えない存在といっても、人間と同じで、
お互いに信頼関係がなければ、お互いの思いなどわかる
はずもありません。
指導霊や守護霊等とはだれでも交流が出来る。
人間とは本来そういう存在だと思います。
YUMI

大阪市立美術館にて
ゴッホ展に行ったのですが、人を見に行ったようなものでした・・・

